上條淳士 「SEX」 (5) - Another Yuki

 

上條淳士の「SEX」は作中後半に、すご腕殺し屋という設定のもう1人の「ユキ」が登場する。ここでは「Anotherユキ」と呼ぶことにする。

 

上條淳士

 

「仕事」の時はボンデージファッションで身を固めるAnotherユキ。カホにもボンデージの衣装をプレゼントするが、その素材がエナメルでもレザーでもなくラバーという設定はセンスがいいと思う。

孤高の殺し屋Anotherユキが身につける衣装としても、ラバー素材は似つかわしい。その筋では明らかにエナメルよりラバーが格上、いや、最高峰だからだ。Anotherユキが身につけるのがエナメルではちゃんちゃらおかしい。レザーでは凡庸。やはりラバーがしっくりくる。

あ、言うだけ野暮だけど、別にそっち系の趣味はないすよ。そもそもボンデージファッションにおいてラバーが最高峰なんて、一般教養じゃないすか!!(え)

 

上條淳士

 

まぁこのポイントに着目する変態読者がどれだけいるか不明だけど、俺的には重要なポイントだ。大半の人には重箱の隅をつつくようなネタでしかないだろうが、何しろ神は細部に宿る。God is in the details。

ところでこの場では便宜上もう1人のユキを「Anotherユキ」と呼んでいるものの、実際にはOriginalユキはこっちと言うべきかもしれないんだな。ネタバレになってしまうからこれ以上は割愛するけど。

 

上條淳士

 

物語はAnotherユキが登場するあたりから特に血生臭い展開が加速する。「SEX」の後半で多く描かれる、極道や殺し屋が登場しつつの格闘・殺人シーンに忌避感を抱く層は一定数いるかもしれない。特に「To-y」から入った女性ファンあたり。しかし「SEX」という作品は、これらの要素がなければ成り立たない。タランティーノ映画に暴力シーンが必要なように。

 

Anotherユキに言及するとどうしてもネタバレに抵触しそうになるからあまり書けないんだが(それだけ重要な登場人物ってこと)、非常に魅力的なキャラクターではある。スピンオフとか書いて欲しいけど、まぁそれはないだろうな…、と思いつつAnotherユキとカホの、次のデートの様子を妄想している。

 

 

上條淳士 「SEX」 (4) - Boundary

 

俺は、俺は、俺は〜〜〜〜…、SEXが好きすぎるんだ〜〜〜!

 

…て書くと、やはりアレがアレだよな。

 

まともに会話を進めようと思ったら、「SEX」の前に「上條淳士の」とか「漫画の」とか投入する必要が出てくる。いろんな意味で、改めてすごいタイトルだ。何がいろんな意味かというと、言いたいことは確実にあるんだが、説明を試みるとモヤモヤしてしまう。でもやってみよう。

 

上條淳士

 

「SEX」というタイトルについて、以下過去記事でも引用したがもう一度。

 

さて、この『SEX』というタイトル、連載が開始された80年代は言うまでもなく、現代の感覚で見てもなんとも過激なものだと思うが、その裏には作者のある意図が隠されている。

 と言うのは、このタイトルでは、そもそも単行本をレジに持って行くことをためらうファンも少なくないだろう。それでも読みたいなら(手に入れたいなら)、自分の中の一線を越えてほしいというのが、おそらくは、上條がこのタイトルに託した想いの1つだ。

 そう、そうした境界線を越える(あるいは自分の殻を壊す)という行為こそが、『SEX』という作品全編を貫く大きなテーマであり、つまり、本作のタイトルには、「男と女」はもちろん、子供と大人、集団と個人、日本とアメリカ、本土と沖縄、理性と本能、正義と悪などを隔てる境界線が象徴されているのだ。そしてそれは、本編では、「金網」という言葉で表わされている

上條淳士『SEX』連載35周年 アクション・コミックの傑作が問いかける、がんじがらめの「金網」世界で私たちはどう生きる?

 

上記は本人の弁ではないし「おそらくは」とあるから記者の推測と言える。しかし作品の内容と照らし合わせると、ほぼ正解だろうと思う。

 

上條淳士

 

上條淳士

 

引用箇所のコンテキストに沿ってこの作品を捉えてみると、「境界」というテーマと「SEX」というタイトルが「クラインの壺」のように、互いに呑み込み呑み込まれ合っているように見えてくる。そこがすごく面白い。この流れから、漫画という虚構の世界と、自分が存在しているこの現実が混ざり合うようになるからだ。

 

例えば、Amazonで何でもポチれる今の時代においては、「SEX」というタイトルの漫画を入手するのにためらうこともない。しかし、この本を電車やカフェで読むとしたらどうだろうか? ….正直、俺は一瞬躊躇した。でもまぁ、俺はカフェで読みたかったからカフェで読んだけど。

 

こんな風に、「境界」という作中のテーマと「SEX」というタイトルが現実に融合していく。つまり、漫画と現実の境界が消失する、または曖昧になる。現実の中で、自分自身の境界を意識し始める。俺はこれ自体が「SEX」という作品の本質でもあると思う。

 

上條淳士

 

上條氏は、「To-y」に関する対談で「現実と夢を地続きにしたかった。」と発言していた。その意図は当然「SEX」にも引き継がれているはずだ。それを狙ってこのタイトルをつけた上條氏のセンスは絶妙だ。作品自体の魅力とこの流れの合わせ技で、俺は「SEX」は上條氏の最高傑作だと思う。だからいろんな意味ですごい。…て、あぁやっと説明できた、伝わるかどうかはともかく。

 

上條淳士

ちなみに、作品の終盤間際くらいに実際に「クラインの壺」というタイトルの回がある。本来は数学的な概念だが、比喩的には、境界の曖昧化、消失。反転、裏返し、すり替え。ループ。…などが挙げられる。で、この回の何が「クラインの壺」なのか?と思って読み返してみたが、 わかったような、わからないような。考え始めると頭がモヤモヤして境界がぼやけてくる。あぁ、これもまた「クラインの壺」だな。(ちょっと違う気が)

 

(追記)
一晩寝て頭が整理されたら、「あーコレガソレで、アレがコレだから「クラインの壺」なのか!」と、一応わかった感じにはなったけど、これ以上意味不明な文章晒すのも何だし書くだけ野暮なので割愛。興味がある人は実際読んでみてくれ。(かなり重要なパートであるのは確か。とはいえここだけ読んでも意味不明なのも確実)

 

 

上條淳士 「SEX」 (3) - How do you see?

 

上條淳士の漫画「SEX」は「境界」が主要なテーマとなっているが、同時に、「(世界が)どう見えるか」ということも、色盲という設定のユキを絡めて重要なファクターになっている。前回記事でもそれに関することを少し書いたが、今回も若干その続きを。

 

上條淳士

 

かつて漫画家「上條淳士」が女性のパートナーと2人一組で執筆していることは、渋谷陽一のサウンドストリート(ラジオ番組)の上條淳士氏インタビューで聞いたことがある。まさに80年代「To-y」連載中の頃だったと思う。当時は名前も出てこなかったが、パートナーの名は村瀬葉子(YOKO)氏。しかし後にコンビを解消することになる。時期は不明。

 

俺は「To-y」はリアルタイムで連載読んでいたが(毎号ヤンサン立ち読みで。ビンボーだったもんで…)、その後は漫画全般に対する関心が薄れてしまい、「SEX」は読んでいなかった。※ヤンサンじゃなくて週刊少年サンデーが正解ですた。昔すぎて記憶がもう…

 

「SEX」をリアルタイムで読んでいた読者からは、YOKO氏が離れた後の絵がどうも…という意見があるようだ。「SEX」の後半から変わってきたとか。が、俺はYOKO氏不在時とそうでない時期の、上條漫画の絵の違いがわからない。違いが見えない。見えないのは、その世界線に関心がないからだ。注意深く観察すればわかるのかもしれない。量子力学的には、観察者の意志の強度によって観察結果、つまり見える世界が変わってくるという。でも、わかったところで何なんだ?と思うから、注意深く観察する気もない。そんなことより、俺はただこの素晴らしい傑作漫画の世界を楽しみたいんだ。

 

 

上條淳士

 

違いがわからないと言ったものの、さすがに80年代に(おそらくYOKO氏により)描かれたカホの顔と、2017年にカバー用に上條氏が書き下ろしたカホの顔が違うことくらいは、わかる。しかし、それが何だというのだろう?

1人の漫画家が書き続けていても、連載途中でタッチや人物の顔が変化するのは普通にあることだ。「初期の方が好き」「今の方が好み」と読者によって感想は変わるだろうけど、まさに好みの問題で、ジャッジを下す問題でもない。いや別に、ジャッジを下す自由はあるけど、この周辺に関してネット上に否定的な意見が蔓延するのは俺的に納得いかないからこの記事を書いている。

 

 

上條淳士

 

量子力学を持ち出さなくとも、ヒトは基本的に関心がない事柄は見えないもんだ。無条件で「SEX」サイコーだよ!な俺には(やっぱ、語弊が…)、この作品の絵が全編通してカッコよくしか見えない。「キメ」のページはもちろん、小さいギャグっぽいシーンの表現とかも、全部いい!最高かよ!

 

…という風に、俺には見えているんだな。