「KILL BILL」は復讐映画ではなかった (2) - Black-Eyed Susan

 

KILL BILL

 

(記事中にネタバレに近い記述があります)

前回ポストの続き。クエンティン・タランティーノの映画「KILL BILL(キル・ビル)」を改めて掘り下げてみる。とはいえ、以下の記事がかなり的確にこの映画の本質を考察し、わかりやすく説明している。

「キル・ビル」解説

 

本記事のタイトル「KILL BILL」は復讐映画ではなかった」の意味は、上記リンク記事を読んでもらえばわかる。vol.1では主人公「ブライド」の目的は復讐だった。vol.2ではビルとの対決の目的が、「復讐」から「本来の自分を取り戻すため」に変化する。(その変化の過程で、コードネームやあだ名ではない、彼女自身の名前が明らかになる)この辺りに言及している日本語の記事は他にもあるけれど、先のリンク記事は、非常にロジカルに、かつ全体像を的確に表現している。俺にはこんな見事な解説は書けない。

 

先の考察は、ほぼほぼビンゴだと思った。しかし、である。ちょっと気になったシーンがあったのでAIに質問していたところ、以下の記事にたどりついた。

Kill Bill & The Black-Eyed Susan(英文)

 

「KILL BILL」は、18世紀にJohn Gayによって書かれた詩「Sweet William’s Farewell to Black-Ey’d Susan(愛するビルとスーザンの物語)」 のモチーフを象徴的に用いているという考察だ。過去記事に書いたように、ワーグナーの歌劇「ニーベルングの指輪」が「パルプ・フィクション」の裏テーマであるとする考察が存在するが、その「KILL BILL」版だ。俺は、これに衝撃を受けた。提示されたリンク記事を読んだら、もうここにほぼ全てが書かれていた。

 

この着想は、他にはインターネット上で一切見当たらない。AIにも聞いてみたが、最初のモデルはデッドリンクの偽情報を回答した。別のモデルは「探したけどなかった」と回答した。自分で検索してもそうだったから、後者の方が正しいはず。記事の一部がフォーラムにものっているが、おそらく上記リンクがオリジナル。記事を書いた人は、一体どこからこのアイデアにたどり着いたんだろう。すげぇよ。

 

Google翻訳の日本語訳リンクものせておくので、興味がある人はぜひ全文を読んで欲しい。

Kill Bill & The Black-Eyed Susan(日本語訳)

 

記事において特に見事なのが、色彩に関わる考察だ。そもそも、Black-Eyed Susan(ブラック・アイド・スーザン)もSweet William(スイート・ウィリアム)も花の名称なのだが、それぞれベアトリクス(ブライド)とビルを象徴している、と。

ブラック・アイド・スーザンはこんな花。イエロー、黒、エンジ色で構成されている。この色調、どこかで見たよね…?

 

Black-Eyed Susan

 

そう、本記事冒頭の画面とまったく同じ。vol.1で「ブライド」は、まさにこの色調のジャンプスーツを身を包み、東京「青葉屋」で死闘を繰り広げる。ヴァニータとキッチンで対決する時はジャンプスーツではないものの、類似の色調だし(黄土色のジャケットにエンジのインナー)、服装だけでなくインテリアや小物の細部に至るまで、象徴的な色彩が散りばめられている。(というのが、上記記事を読んでわかった)

 

スイート・ウィリアムを象徴するのがビル。ブラック・アイド・スーザンとスイート・ウィリアムは、よく一緒に咲くのだそうだ。そして、人名において「William(ウィリアム)」のニックネームとしてよく使われるのが、「Bill(ビル)」!!(英語圏の人には当たり前のことらしいんだけど、俺は今まで知りませんですた)

 

スイート・ウィリアムはこんな花。日本ではアメリカナデシコ、ビジョナデシコ(美女撫子)と呼ばれる。

 

Sweet William

 

映画の中でビルはスイート・ウィリアムのような赤い色調の格好はしていないが、ベアトリクスの生き別れた娘B.B.の衣服や、ビルの屋敷の小道具などに、色彩の暗喩が潜んでいる。

また、ビルが「スイート・ウィリアム」の暗喩である決定的なセリフが存在する。ここで書くのは野暮なので参照記事を直接読んでもらうとして、ヒントだけほのめかすと、ビルとブライド(またはアーリーン)が、結婚式のリハーサルシーンで交わす会話だ。これも本当に目から鱗だった。言われなかったら一生知らなかっただろう。確かにどこか思わせぶりな会話ではあったが…。

ちなみにこの記事では言及されていないが、vol.2の終盤からベアトリクスの車や衣装がイエローからブルーへと変化し、ラストシーンでは白に至る過程も、主人公のシチュエーション・精神的な変化にリンクしているはずだ。

 

しかし何より、記事を読んで一番ささったのは、vol.2のラストシーンにまつわる考察だ。B.B.がホテルの部屋でTVアニメを見ているところで、画面にはまさにブラック・アイド・スーザンの花が写っており、その花にカササギ(マグパイ)が話しかけている! ここでB.B.が見ているのは、米国の古いカートゥーンアニメ「ヘッケルとジャッケル(Heckle and Jeckle)」。その短編作品の、「おしゃべりカササギ(The Talking Magpies)」である。記事ではこのカササギが、パイ・メイの暗喩であるとしている。(カササギは賢く、中国では幸運の使いとされ、尊敬すべき存在。かつ、パイ・メイはマグパイのアナグラムでもある)パイ・メイはブライド/ベアトリクスに過酷な修行を課すが、最終的にビルを倒すことになる必殺技「五点掌爆心拳」を密かに伝授してくれていた。

 

そして多くの人にとって謎となった、「ラストシーンのバスルームで、ベアトリクスの感謝の言葉は誰に向けられていたのか?」という疑問。ここまで書いたらもう決定的だし完全にネタバレだが、素晴らしいので引用する。(ここまで書いて何だけど、「KIll BILL vol.2」未見の人は読まないこと推奨)

 

 

 

 

 

 

 

アニメーションのシーンで、カメラがようやくバスルームにいるベアトリクスを捉えたとき、彼女はすすり泣いています。それは、旅を終えて気持ちを落ち着かせようとする彼女の悲しみ、安堵、そして喜びの涙です。彼女は戦いに勝利しただけでなく、BBと再会することでも勝利者となりました。彼女が静かに「ありがとう」と言って微笑むとき、それがパイメイに向けられたものであることが分かります。小さな花は、世界で最も魅力的な鳥に祝福されたのです。

 

いやぁ〜、最後の下りは泣かせる。先に書いた色調の変化についても、ラストのバスルームでベアトリクスが真っ白な服を着ているのは、パイ・メイ(真っ白な白眉の)の魂が、彼女と共にあることを暗示しているのかもしれない…てのは完全に俺の希望的観測だけど。

 

最後のConclusionも見事にこの映画の本質を表しているので引用する。

 

『キル・ビル Vol.1 & 2』に登場するブラックアイドスーザンのイメージは、ほとんどのシーンに登場し、ベアトリクスの旅にさらなる意味を加える暗黙の要素となっています。このアイデアがタランティーノ自身から生まれたものでなかったとしても、撮影現場では間違いなく、この寓話の実現を助けた数人の人物がいたに違いないでしょう。視覚的、物語的な細部へのこだわりだけでも、映画製作における驚くべき偉業と言えます。タランティーノが武術アクション映画のインスピレーション源の一つとして18世紀の花に関する詩を挙げた可能性を考えると、彼の映画が何を語り、何を見せているのかに、どれほど多くの思考が注ぎ込まれているかが明らかになります。

 

映画や漫画などフィクションの解釈は一意ではないし、完全な正解もない。タランティーノ映画は特に、あまりに多様な象徴・暗喩が幾重にも重なり合っており、そのどの視点から解釈しても、正解でありうる。しかし俺は「Black-Eyed Susan」のメタファーが映画「KILL BILL」の深い核を表しているとする考察に、完全に賛成だ。それにしても、この考察はとんでもなく深い。タランティーノは昔から大好きだったけど、俺はタランティーノ映画の深い本質を全然とらえていなかったんだと思い知った。

 

結局この記事では「KILL BILL」が復讐映画ではなかったとする具体的な理由を何も説明していないが、まぁそういうことです。

 

「KILL BILL」は復讐映画ではなかった (1) - SONNY CHIBA

 

ここ数日、タランティーノの映画「KILL BILL(キル・ビル)」が頭から離れなくてどうしようもない…!! vol.2が特に…!!

「KILL BILL」はvol.1だけ日本公開時に劇場で観たんだけど、改めてvol.2も合わせてプライムで観たらもう、「え、こ、これってこういう映画だったのか!!!」と衝撃のビックウェイブが押し寄せて、完全にやられてしまった。

 

この映画について書きたいことは無尽蔵にあるんだが、書き始めると絶対止まらなくて寝れなくなるの確実。今日は軽めに、「CUT」マガジン No.156 (2003)に掲載された、SONNY CHIBAこと千葉真一のインタビューから、ちょっといい話を引用。

 

Kill Bill

 

-「キル・ビル」では、刀鍛冶の服部半蔵としてだけでなく、俳優たちに殺陣の指導をされていますよね。

「ええ。とくに、ユマとルーシーがよくがんばりました。あれほど稽古を真剣にやるとは思ってもみませんでしたよ。「なぜ、そこまで真剣にやるのか」、と聞いたくらいです。そうしたら、彼女たちはこう答えたんです。「これを吸収すれば、女優としての特技をひとつ身に付けたことになります。だれにも盗まれない、自分だけの財産になるんです」って。で、こっちがクタクタになっても、まだやりたいと言う。プロとしての志の高さには、正直感激しました。日本の女優さんに見せてあげたいくらいです。」

 

このエビソード、好きだなぁ〜。千葉真一という日本人がいたからこそ、ユマ・サーマンのあのぶっちぎりの殺陣シーンが見れたのだと思うと、日本人として感慨深い。

ユマ・サーマンはvol.2の撮影中、車で長年後遺症が残るほどの大事故にあってしまったのが残念だし、千葉真一が2001年に亡くなってしまったのも、非常に残念だ。

だけど、そんなにも真剣に演技に取り組んでくれた俳優と指導した人、監督はもちろん、多くのスタッフ・関係者の力によって、こんな最高すぎる映画がこの世に生まれたことに対して、100万回ありがとうと言っても足りない気持ちだ。

 

記事タイトルに関わる内容も書きたいけど、寝れなくなるからまた今度。

 

映画「Pulp Fiction(パルプ・フィクション)」の意外な解釈など

 

 

映画「Pulp Fiction(パルプ・フィクション)」のプライム配信が間も無く終了と知ったので、久しぶりに見直した。「パルプ・フィクション」は好きな映画ではあるが何度も見直すほどのファンというわけではなく、最後に見た時から10年以上は経過していたはず。で、久しぶりに見直したら、当時は完全にスルーしていたポイントがあったり、すっかり忘れていたシーンもあったりで、自分の中の認識が結構ズレていたんだなぁ、と気付かされた。(そう、自分が見える世界というのはその都度異なるのだ)

その流れでちょっと調べたら、興味深い記事に出会ったのでメモしておく。以下は「パルプ・フィクション」は、ワーグナーのオペラ「ニーベルングの指輪」を下敷きにしているという解釈とその詳細な解説だ。
パルプ・フィクション 解説【タランティーノ】

 

同じくパルプ・フィクションについて、時系列解説した記事。
時系列倒置の研究 4・「パルプ・フィクション」

 

上記のリンク記事から、セルジオ・レオーネの「ワンス・アポン・ア・タイム・イン・アメリカ」の時系列について書かれた記事に飛べる。この時系列解析もすごい。こんなの読んじゃったら、「ワンス・アポン・ア・タイム・イン・アメリカ」も見直し必須になってしまうじゃないか。あの大作を通して見るのはすげぇ気力・体力がいるんだよなぁ….

 

 

話を「パルプ・フィクション」に戻すと、「パルプ・フィクション」と「ニーベルングの指輪」のつながりはリンク記事に詳細書かれているのでここでは述べないが、「おぉぉー、そ、そういうことだったのか!!」と目から鱗的に衝撃を受けた。この刺激的な解釈は他に類を見ない。AIにも質問してみたが、現状、同様の着目点はインターネット上にはないようだ。が、そんなことはどうでもいい。「パルプ・フィクション」に対する解釈は世に多数あるが、自分としては「ニーベルングの指輪」ベース説はかなり説得力があると思った。

が、ここで白状すると、これまで「ニーベルングの指輪」については名前を聞いたことがあるくらいで、その中身・内容は全く知りませんですた。この年まで生きていても、知らないことがありすぎる。これから死ぬまでも、知らないことだらけだろう。わかったつもりになっていて、実は全然わかっていなかったってことも。でも今、「パルプ・フィクション」の刺激的な解釈と「ニーベルングの指輪」について知ることができてよかった。

 

ちなみに「パルプ・フィクション」のプライム配信間もなく終了の知らせは、多分直前にコーエン兄弟の「ブラッド・シンプル」を観ていたから、おすすめで登場した。なぜ「ブラッド・シンプル」を観たかというと、漫画家の上條淳士氏が好きな映画監督としてコーエン兄弟を挙げていたからだ。(タランティーノも)だから何、という話題だが、いろんな要素が数珠繋ぎでつながっていって、思いもよらなかったモノや情報に出会えるのは面白い。

 

久しぶりに「パルプ・フィクション」を観て、かつ、今まで知る由もなかった新しい解釈に出会うことができてよかった。