映画「パルプ・フィクション」の意外な解釈など

 

 

映画「パルプ・フィクション」のプライム配信が間も無く終了と知ったので、久しぶりに見直した。「パルプ・フィクション」は好きな映画ではあるが何度も見直すほどのファンというわけではなく、最後に見た時から10年以上は経過していたはず。で、久しぶりに見直したら、当時は完全にスルーしていたポイントがあったり、すっかり忘れていたシーンもあったりで、自分の中の認識が結構ズレていたんだなぁ、と気付かされた。(そう、自分が見える世界というのはその都度異なるのだ)

その流れでちょっと調べたら、興味深い記事に出会ったのでメモしておく。以下は「パルプ・フィクション」は、ワーグナーのオペラ「ニーベルングの指輪」を下敷きにしているという解釈とその詳細な解説だ。
パルプ・フィクション 解説【タランティーノ】

 

同じくパルプ・フィクションについて、時系列解説した記事。
時系列倒置の研究 4・「パルプ・フィクション」

 

上記のリンク記事から、セルジオ・レオーネの「ワンス・アポン・ア・タイム・イン・アメリカ」の時系列について書かれた記事に飛べる。この時系列解析もすごい。こんなの読んじゃったら、「ワンス・アポン・ア・タイム・イン・アメリカ」も見直し必須になってしまうじゃないか。あの大作を通して見るのはすげぇ気力・体力がいるんだよなぁ….

 

 

話を「パルプ・フィクション」に戻すと、「パルプ・フィクション」と「ニーベルングの指輪」のつながりはリンク記事に詳細書かれているのでここでは述べないが、「おぉぉー、そ、そういうことだったのか!!」と目から鱗的に衝撃を受けた。この刺激的な解釈は他に類を見ない。AIにも質問してみたが、現状、同様の着目点はインターネット上にはないようだ。が、そんなことはどうでもいい。「パルプ・フィクション」に対する解釈は世に多数あるが、自分としては「ニーベルングの指輪」ベース説はかなり説得力があると思った。

が、ここで白状すると、これまで「ニーベルングの指輪」については名前を聞いたことがあるくらいで、その中身・内容は全く知りませんですた。この年まで生きていても、知らないことがありすぎる。これから死ぬまでも、知らないことだらけだろう。わかったつもりになっていて、実は全然わかっていなかったってことも。でも今、「パルプ・フィクション」の刺激的な解釈と「ニーベルングの指輪」について知ることができてよかった。

 

ちなみに「パルプ・フィクション」のプライム配信間もなく終了の知らせは、多分直前にコーエン兄弟の「ブラッド・シンプル」を観ていたから、おすすめで登場した。なぜ「ブラッド・シンプル」を観たかというと、漫画家の上條淳士氏が好きな映画監督としてコーエン兄弟を挙げていたからだ。(タランティーノも)だから何、という話題だが、いろんな要素が数珠繋ぎでつながっていって、思いもよらなかったモノや情報に出会えるのは面白い。

 

久しぶりに「パルプ・フィクション」を観て、かつ、今まで知る由もなかった新しい解釈に出会うことができてよかった。

 

上條淳士 「SEX」 (5) - Another Yuki

 

上條淳士の「SEX」は作中後半に、すご腕殺し屋という設定のもう1人の「ユキ」が登場する。ここでは「Anotherユキ」と呼ぶことにする。

 

上條淳士

 

仕事の時は(よく見るとそうじゃないときでも)ボンデージファッションで身を固めるAnotherユキ。カホにもボンデージの衣装をプレゼントするが、その素材がエナメルでもレザーでもなくラバーという設定はセンスがいいと思う。

孤高の殺し屋Anotherユキが身につける衣装としても、ラバー素材は似つかわしい。その筋では明らかにエナメルよりラバーが格上、いや、最高峰だからだ。Anotherユキが身につけるのがエナメルではちゃんちゃらおかしい。レザーでは凡庸。やはりラバーがしっくりくる。

あ、言うだけ野暮だけど、別にそっち系の趣味はないすよ。そもそもボンデージファッションにおいてラバーが最高峰なんて、一般教養だし。(え)

 

上條淳士

 

まぁこのポイントに着目する変態読者がどれだけいるか不明だけど、俺的には重要なポイントだ。大半の人には重箱の隅をつつくようなネタでしかないだろうが、何しろ神は細部に宿る。God is in the details。

ところでこの場では便宜上もう1人のユキを「Anotherユキ」と呼んでいるものの、実際にはOriginalユキはこっちと言うべきかもしれないんだな。ネタバレになってしまうからこれ以上は割愛するけど。

 

上條淳士

 

物語はAnotherユキが登場するあたりから特に血生臭い展開が加速する。「SEX」の後半で多く描かれる、極道や殺し屋が登場しつつの格闘・殺人シーンに忌避感を抱く層は一定数いるかもしれない。特に「To-y」から入った女性ファンあたり。しかし「SEX」という作品は、これらの要素がなければ成り立たない。タランティーノ映画に暴力シーンが必要なように。

 

Anotherユキに言及するとどうしてもネタバレに抵触しそうになるからあまり書けないんだが(それだけ重要な登場人物ってこと)、非常に魅力的なキャラクターではある。スピンオフとか書いて欲しいけど、まぁそれはないだろうな…、と思いつつAnotherユキとカホの、次のデートの様子を妄想している。

 

 

上條淳士 「SEX」 (4) - Boundary

 

俺は、俺は、俺は〜〜〜〜…、SEXが好きすぎるんだ〜〜〜!

 

…て書くと、やはりアレがアレだよな。

 

まともに会話を進めようと思ったら、「SEX」の前に「上條淳士の」とか「漫画の」とか投入する必要が出てくる。いろんな意味で、改めてすごいタイトルだ。何がいろんな意味かというと、言いたいことは確実にあるんだが、説明を試みるとモヤモヤしてしまう。でもやってみよう。

 

上條淳士

 

「SEX」というタイトルについて、以下過去記事でも引用したがもう一度。

 

さて、この『SEX』というタイトル、連載が開始された80年代は言うまでもなく、現代の感覚で見てもなんとも過激なものだと思うが、その裏には作者のある意図が隠されている。

 と言うのは、このタイトルでは、そもそも単行本をレジに持って行くことをためらうファンも少なくないだろう。それでも読みたいなら(手に入れたいなら)、自分の中の一線を越えてほしいというのが、おそらくは、上條がこのタイトルに託した想いの1つだ。

 そう、そうした境界線を越える(あるいは自分の殻を壊す)という行為こそが、『SEX』という作品全編を貫く大きなテーマであり、つまり、本作のタイトルには、「男と女」はもちろん、子供と大人、集団と個人、日本とアメリカ、本土と沖縄、理性と本能、正義と悪などを隔てる境界線が象徴されているのだ。そしてそれは、本編では、「金網」という言葉で表わされている

上條淳士『SEX』連載35周年 アクション・コミックの傑作が問いかける、がんじがらめの「金網」世界で私たちはどう生きる?

 

上記は本人の弁ではないし「おそらくは」とあるから記者の推測と言える。しかし作品の内容と照らし合わせると、ほぼ正解だろうと思う。

 

上條淳士

 

上條淳士

 

引用箇所のコンテキストに沿ってこの作品を捉えてみると、「境界」というテーマと「SEX」というタイトルが「クラインの壺」のように、互いに呑み込み呑み込まれ合っているように見えてくる。そこがすごく面白い。この流れから、漫画という虚構の世界と、自分が存在しているこの現実が混ざり合うようになるからだ。

 

例えば、Amazonで何でもポチれる今の時代においては、「SEX」というタイトルの漫画を入手するのにためらうこともない。しかし、この本を電車やカフェで読むとしたらどうだろうか? ….正直、俺は一瞬躊躇した。でもまぁ、俺はカフェで読みたかったからカフェで読んだけど。

 

こんな風に、「境界」という作中のテーマと「SEX」というタイトルが現実に融合していく。つまり、漫画と現実の境界が消失する、または曖昧になる。現実の中で、自分自身の境界を意識し始める。俺はこれ自体が「SEX」という作品の本質でもあると思う。

 

上條淳士

 

上條氏は、「To-y」に関する対談で「現実と夢を地続きにしたかった。」と発言していた。その意図は当然「SEX」にも引き継がれているはずだ。それを狙ってこのタイトルをつけた上條氏のセンスは絶妙だ。作品自体の魅力とこの流れの合わせ技で、俺は「SEX」は上條氏の最高傑作だと思う。だからいろんな意味ですごい。…て、あぁやっと説明できた、伝わるかどうかはともかく。

 

上條淳士

ちなみに、作品の終盤間際くらいに実際に「クラインの壺」というタイトルの回がある。本来は数学的な概念だが、比喩的には、境界の曖昧化、消失。反転、裏返し、すり替え。ループ。…などが挙げられる。で、この回の何が「クラインの壺」なのか?と思って読み返してみたが、 わかったような、わからないような。考え始めると頭がモヤモヤして境界がぼやけてくる。あぁ、これもまた「クラインの壺」だな。(ちょっと違う気が)

 

(追記)
一晩寝て頭が整理されたら、「あーコレガソレで、アレがコレだから「クラインの壺」なのか!」と、一応わかった感じにはなったけど、これ以上意味不明な文章晒すのも何だし書くだけ野暮なので割愛。興味がある人は実際読んでみてくれ。(かなり重要なパートであるのは確か。とはいえここだけ読んでも意味不明なのも確実)