「1000年女王 - 新竹取物語」松本零士
The Clash Before & After, Photographs by Pennie Smith より。
クラッシュは絵になるねぇ〜。
岡崎京子の「ヘルタースケルター」はリアルタイムでは読んでなくて、十数年以上経過した2008年頃だったろうか。喫茶店に置いてあったのを一気読みした。(コーヒー一杯で粘って申し訳なかった…)
”あのサラッと感性で描いたように見える絵は、何度もホワイトで必死に修正されているのだ。 そうして必死で修正した絵に、あの有名な「スクリーントーン適当貼り」をして彼女は「適当な私」を演出してたのだ。
”岡崎世代の女の子たちはそんな風にしなくてはいけなかった。
「ただ勝つ」なんていう甘っちょろいことは許されなかったのだ。
鼻歌まじりに楽勝してみせなければ誰にも見向きもされない時代だったのだ。”
Fool’s Mate No.29(1983) より。
野々村 最後に『壺直し』の<壺>っていうイメージのことなんだけど、これはディックの作品によく出てくるイメージだね。ふつう<壺>というと、古美術品か何かを思うけど、ディックのはたぶんるつぼに近いものだと思う。その中に現実や非現実、いろんな思想や文化のコードが投げこまれ、もつれあっているような。
式場 ぼくたちの住んでいる世界というのは、壊れた壺のようなものなんだろう。そのため現実と非現実、希望と妄想とが入りまじっている。そうした中で暮らす人間にとって、日常生活というのは、割れた壺を繕うような毎日であって、それでもなお壺の割れ目からは、たえず何か大切なものや邪悪なものが流れだしてきてしまうんだ。
西荻窪のコーヒーロッジ ダンテ。いわゆる昭和レトロな喫茶店なのだが、立体的な構造をした店内は独特で、建築物としても希少な店だった。もちろん珈琲とマスターの接客もナイス。
2018年の訪問。その後再訪したい気持ちもあったが西荻はなじみが薄く、何かきっかけがないとどうも…と、グズグズしていて、「そういえば西荻のダンテ、まだあるかな〜」と今更調べてみたら2021年にとっくに閉店していた。無念。
しかしトーキョーには、ニッポンには、このような小さな宝石がまだ山ほどある。残りの人生、命(と金)がある限り発掘しつづけるぞ。